「Article15」2019年 ヒンディ
監督:アヌバウ・シンハー
出演:アーユシュマーン・クラーナー/ナーサル/マノージ・パーフワー
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt10324144/
Wiki:https://en.wikipedia.org/wiki/Article_15_(film)
あらすじ
ウッタラ・プラデーシュの田舎のラルガオンに警察署長として赴任したアヤン(アーユシュマーン・クラーナー)。赴任早々にアヤンは2人の下層カーストであるダリットの少女が木に吊るされ遺体で発見される事件に立ち向かうことになる。地元民の部下たちは、父親たちによる名誉殺人(娘たちが同性愛関係にあると思って不名誉だから殺した)として片付けようとしており、誰もがまともに捜査するつもりが無い。村に住む大学の同級生に再会したアヤンは彼の何かにおびえたような態度に不信感を抱く。ダリットによるストライキで警察署の庭には下水が溢れ、部下は捜査しようとするアヤンを制して事件を終わらせることしか考えておらず、少女たちの検死もまともに行われていない。3人いた少女のうち遺体で見つかったのは2人。何もかもが不信に満ちた村で、アヤンは真実を暴き残る一人の少女を見つけることが出来るのか。
感 想
タイトルの「Article15」とは、カーストによる差別を禁じるインドの憲法第15条のこと。
インドの暗部がこれでもかと詰まったような作品だった。主人公アヤンは大学こそインドで卒業しているけど、イギリス育ちという設定なのかな?帰国子女のお坊ちゃまだから、ヒンディ語より英語のほうが得意なんだろうって嫌味を言われたりもしてる。何かに立ち向かったこともないし、ヒーロー気質でもない、そんなアヤンの性格を表現する役として妻のアディティがいるのかな。
到着そうそう下へも置かぬ扱いで丁重にもてなされるアヤンだけれど、部下たちから滲み出る「よそ者の上流階級の坊ちゃんは俺たちの流儀に従ってくれないと困る」っていう空気。しかし捜査を諦めないアヤンによって、「誰もが知っている、でも誰も言わない」事実がだんだんと浮き彫りになっていく過程が緊迫感があっていいね。
カーストを尋ねることがもう規則違反というのも驚いた。確実にそれで差別や区別をしているのに、表では相手のカーストを聞いてはいけないというのが、まさに現実そのものではない?
カーストで差別することで、誰もやりたくないキツイ仕事に従事する人々を生み出すことができる、だから自分たちはそこに携わらなくて済む。この図式がカーストという制度があるせいでとても明確になっているという世界…カーストは身分だけじゃなく、その業界、その仕事を確保する役目もするし、そこに縛ることにもなるって言われたことがあるのだけど、とても良く解った。
そしてカースト差別の撤廃すらも政治家に利用されているというの、絶望的な気持ちになるね。少女の姉ガウラの膝で泣く革命家のニシャドの姿はとてもつらい。彼の「自分たちが死んでも誰かがまた立ち上がる」という言葉、まさにその通りに今日もどこかで拳を握り締めて立ち上がっている人がいるのだろうって思った…。
なにより観ていて恐ろしいと思ったのは、普段は優しい人が、酔っていたという理由だけで少女をレイプしていたこと。その大きな一線を、なぜそんなにも容易く越えたのか。この映画のモチーフになっている実際のギャングレイプ事件について読んでみて、その感覚を理解した気がした。ゾッとするね。男だからちょっとした間違いを起こした、そんな感覚…。
※実際の事件についての詳細
https://en.wikipedia.org/wiki/2014_Badaun_gang_rape_allegations
一緒に泥水に足を踏み入れていくアヤンの本気を感じた部下たちが、少しづつ変わっていく様が、この映画の小さな明るさ。彼が世界を変えるわけではないけど、一石を投じる人がいなくなったら世界は決して変わらない、そんな映画でした。
トレーラー
視聴場所
■Netflix(英語字幕)
https://www.netflix.com/title/81154455